「ケモブレイン」およびがん治療後の認知機能障害の理解

  • 頻発する問題
  • 治療に対するさまざまな反応を調査する
  • 研究と治療に関する新たな方向性

数十年もの間、がんサバイバーは治療の数カ月後から数年後まで記憶、注意、および情報処理に関連する問題を経験すると話している。がんサバイバーの大多数は化学療法を経験したため、こうした現象は「ケモブレイン」や「ケモフォッグ」と言われるが、こうした言葉が必ずしもがんサバイバーが経験するさまざまな障害に当てはまるとは限らないと言われている。

がん治療による認知機能障害が生じる理由は完全にわかっていない。しかし、こうした問題に焦点を当てた乳がんサバイバーに関する大規模研究を含む最近の研究は、治療後に認知機能障害が認められる患者の予測因子の発見、またその影響を軽減するためになにができるかを特定することを目標としている。

頻発する問題

認知機能変化は多くのがん種の治療と関連しているが、最近の研究は乳がんサバイバーの認知機能変化に焦点を当てている。2012年、科学情勢の最新版として、Tim Ahles博士(スローンケタリング記念がんセンター)らは、乳がんサバイバーの研究により、そうした女性の17%~75%が化学療法後6カ月から20年間、認知機能障害、すなわち、注意力、集中力、立案力、および作業記憶に関連する障害を経験したことがわかったと発表した。

Julia Rowland博士(NCIがんサバイバーシップ局長)によると、長年こうした問題に関して担当医と話し合った多くの女性患者は、この問題を真摯に受け止めてもらえなかったと感じたと言う。しかし現在、「誰もがようやくこうした問題を極めて真剣に受け止めています」とRowland氏は述べた。担当医は「治療結果がどのようなものかを理解すべきであり、がんの治療で副作用が全くない場合はほとんどない」ことを悟りつつある。

初期の研究では、認知機能障害は化学療法が唯一の原因であると推測されたが、最近の研究から、化学療法+ホルモン療法の併用、またはホルモン療法のみでも認知機能変化を引き起こすことが示唆されている。

「多くの文献から私たちは現在、がん患者が化学療法後だけでなく、外科手術、放射線治療、ホルモン療法、および他の治療法の後でも認知機能障害を経験することを承知しています」とPatricia Ganz医師(UCLAジョンソン総合がんセンター腫瘍専門医兼がん予防・制御研究所長)は述べた。

ある研究で、Ganz氏らは乳がんサバイバー53人 と人口統計学的にマッチさせた健康女性19人に対して包括的神経認知機能検査を実施し、気分、活力度、および自己申告による認知機能を評価したところ、術後補助化学療法歴があるサバイバーは外科手術歴のみのサバイバーと比較して有意に認知機能が低下し、化学療法+抗エストロゲン薬タモキシフェン(ノルバデックス)歴があるサバイバーで認知機能が最も低下していることがわかった。

こうした問題の研究における課題の1つは、認知機能障害があると自己申告した多数のがんサバイバーが現在もなお神経心理検査において正常範囲内にいることである。「患者の記憶力を評価すると、問題がない傾向があります。しかし、注意力と関連情報の分類に関連する障害により、情報を適切に記憶することが難しくなっています」とAhles氏は述べた。

Ganz氏らが実施した画像診断研究から、こうした診断で正常範囲内であるにもかかわらず、認知機能障害があると自己申告した女性は現在もなお苦しんでいることが示されている。実例として、ある研究で、一組の一卵性双生児(1人は乳がんに対する化学療法歴があり、もう1人はがんを発症していない)を自己申告法、神経心理検査、およびMRIにより評価した。この結果から、神経心理検査における相違は僅差とはいえ、化学療法歴がある方には自己申告による認知機能障害が有意に認められることが示された。化学療法歴がある方に対する画像診断から、作業記憶処理の間に脳領域が著しく動員されることが示された。

「こうしたがんサバイバーはさらに作業記憶を処理する必要があり、神経心理検査上的確な回答を得ることが多いとはいえ、治療歴がない人と比較して、回答をみつけるのにより多くの努力を要します」とGanz氏は述べた。

化学療法終了後に認知機能低下を自己申告した患者の比率 45 %

治療に対するさまざまな反応を調査する

しかし、なぜ一部のがんサバイバーが治療後に認知機能低下を経験する一方で、他のサバイバーは認知機能低下を経験しないのだろうか。「確かに認知機能が低下しないがんサバイバーはいます。要は、その疑問は『どのような人が認知機能低下を起こすのか?』、『その要因はどのようなものか?』ということです」とRowland氏は述べた。

また、こうした認知機能低下は時にがん治療に先立って発症することがあるのだろうか?2008年に発表された研究で、乳がん患者の20%超では、年齢と教育から予想される基準より、治療前評価での認知機能が低く、他の研究でも同様の結果が得られていることがわかった。「このことから、受ける治療だけではなく、その診断に至る経緯がリスクを増加させることが示されます」とAhles氏は述べた。

これらの要因と他の要因の調査を目的として、Michelle Janelsins博士(ロチェスター大学ウィルモットがん研究所)主導の研究班は全米長期前向き研究を実施し、全米の地域診療施設で治療を受けている乳がん患者581人と年齢をマッチさせた健康女性 364人における認知機能障害を比較した。Janelsins氏らはがん治療による認知機能の機能的評価法(the Functional Assessment of Cancer Therapy-Cognitive Function:FACT-Cog)という手法を使用した。これにより、女性は自分自身の認知機能を自己申告できるようになった。

この研究から、診断時から化学療法終了後までに、患者の45.2%は認知機能が臨床的に有意に低下したと自己申告し、一方で同期間に健康女性の10.4%は認知機能が低下したと自己申告したことがわかった。また、化学療法実施前から化学療法終了から6カ月後までに、患者の36.5%は認知機能低下を自己申告し、健康女性の13.6%は認知機能低下を自己申告した。

治療前要因のさらなる解析において、治療前で不安な感情が強く、抑うつ症状が多いとFACT-Cogスコアが低くなることが分かった。この結果から、診断後と治療中における不安と抑うつ症状を管理することで、認知機能障害とその生活の質に対する影響を減少できるという結論に至った。この研究における神経心理学的転帰はまだ公表されていない。

この研究は、規模だけでなく地域医療の現場におけるがん患者に焦点を当てた、認知機能障害に関する最初の研究の1つゆえに重要であると共著者であるAhles氏は述べた。大切なのはこの問題を重要視したことにあるとRowland氏は言い添えた。「こうした論文が臨床現場に幅広い影響を及ぼす学術誌に発表され始めた時点で、私は『これが問題なのだ』と強く言いたいということです」とRowland氏は述べた。

研究と治療に関する新たな方向性

がん治療後に認知機能障害を発症するリスクが最も高い人を特定する必要性から、いくつかの様々な手法で研究が推進されている。Ahles氏はがんと老化の間の相互作用を調べている。「認知機能に関して、『現在調べている認知機能変化が脳における化学療法の特異的な作用に起因しているのか?』、または『こうした変化はある程度の老化促進の徴候なのか?』という疑問が存在します。これは、調査すべき新たな興味深い研究分野です」とAhles氏は述べた。

Ahles氏はがん治療後の認知機能障害リスクの増加に関する遺伝子マーカー候補も調べている。これには、APOE遺伝子のアレルの1つであるε4(アルツハイマー病と関連する)を含む。他の研究から、COMT遺伝子(脳のドーパミン代謝速度に影響を及ぼす)の多様体を有する乳がんサバイバーで認知機能障害リスクが増加し、また、BDNF遺伝子の変異体は化学療法関連認知機能障害を防御できることが示されている。

これらの研究はすべて小規模とはいえ、同時に神経伝達物質活性の不均衡や不足をがん治療後の認知機能障害(結果には治療によるさまざまな影響が認められる可能性がある)のリスク要因として指摘しているとAhles氏は述べた。実例として、抗うつ薬フルオキセチンは化学療法薬5-FUと関連する記憶障害を予防または改善できることが動物モデルの研究で示されている。

炎症が、がん治療後の認知機能障害の要因の可能性があるとGanz氏は確信している。Ganz氏らは研究で(炎症反応を促進する)サイトカインの調節遺伝子における特定の多型を有する患者において、倦怠感とがん治療後の認知機能障害の間の強い関連性を突き止めた。

このような生物学的リスク要因を突き止めることが治療による認知機能障害の抑制方法の考案に非常に有用な可能性があるとGanz氏は注目した。「生物学的にこうした長期治療の影響をより受けやすい人を特定できれば、有用な治療介入かどうかを検証できるでしょう」とGanz氏は述べた。

最近のランダム化試験1件から、化学療法後の認知機能障害の症状を自己申告したがんサバイバーが、認知リハビリテーションプログラムを利用することにより、不安な感情、抑うつ、疲労、およびストレスのレベルが減少することがわかった。Ganz氏は認知行動療法介入の検証も計画しているところで、一部の臨床試験ではすでに、認知行動療法ががん治療後の認知機能障害に有効な可能性があることが示されている。「一部の患者にとって、重い障害と言うほどではなくても、彼らは悩み、何もできなくなっているので、認知行動療法はこうした状況に有用な可能性があると考えます」とGanz氏は述べた。

最新の研究はこうした不安を訴えている患者の声を聴く必要性を強調しているので、重要であるとGanz氏は述べた。 「(最近の)研究の重要性は、患者が『痛い』、『憂うつになる』、『眠れない』と訴えるとき、患者に複雑な検査をせずに、患者の訴えを信頼することであると考えます。つまり、『本当に忘れっぽいのです。言葉がすぐに出てきません。集中できません』と訴える場合、私たちにこうしたことを訴え、その症状が化学療法の6カ月から1年後に好転しないときは、何らかの障害が認められるということです」とGanz氏は述べた。

画像訳(上):このヒト脳画像は色や形を利用して、2人のヒトの間の神経学的な相違を示している。脳の前頭連合野(輪郭がぼやけている)は複雑な思考と関連している。解説:Arthur Toga(カリフォルニア大学ロサンゼルス校:UCLA)

NCIからの資金提供

NCIは近年、資金提供公募(Funding Opportunity Announcement:FOA)を非中枢神経系腫瘍に関するがん治療後の認知機能変化の計測・評価の改良に重点的に取り組む研究に対して発表した。急性かつ長期間の認知機能変化をより詳しく理解することで、不安を和らげ、ケアプランの立案を知らせ、および、認知機能障害を経験している患者に対応できる方法を提案することができる。

翻訳担当者 渡邊 岳

監修 佐藤恭子(緩和ケア内科/川崎市井田病院)

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