免疫細胞トラップががん転移を促進
がん細胞は、正常細胞を集めて増殖や転移に利用するという忌まわしい細胞である。今回新たな研究により、がん細胞が転移性腫瘍を形成するために、白血球の中で最も大きな割合を占める好中球の通常機能を利用しているという可能性が示唆された。
他の研究でも好中球とがん転移との関連性が指摘され、転移に至るまでのプロセスも示唆されている。しかしこのプロセスにはまだ不明な点があり、これらのいくつかを解明するために今回の研究が貢献できるものと研究著者らは確信している。
がん細胞が、好中球を誘導し特別なトラップ、すなわち「好中球細胞外トラップ(NET)」を放出させている可能性が今回の研究で示唆された。好中球は通常、NETを用いて病原体を捕捉し殺傷する。一方、原発腫瘍から遊離し遠隔組織に移動したがん細胞は、その組織に腫瘍を形成、すなわち転移腫瘍を形成しようとする。研究チームの報告によると、がん細胞による転移腫瘍の形成をNETが促進するとみられる。
ニューヨーク州にあるコールドスプリングハーバー研究所の研究者を中心としたこのチームは、ナノテクノロジーを用いてNETを分解するという治療法も開発した。この治療法を用いることにより、悪性度の高い乳がん細胞移植マウスにおいて肺転移を阻止あるいは大幅に減少させられるかもしれないことが示された。
研究チームは、NETがどのようにがん転移を促進するかについて、いくつかの仮説を立てているとはいえ、実際の仕組みの解明には至っていない。こう述べるのは、本研究の筆頭著者Mikala Egeblad博士である。しかし「今回の研究結果により、転移性コロニーの形成にはNETが不可欠であることが示唆され、NETを標的とする治療が転移を阻止するかもしれないという期待が膨らむ」と2016年10月19日付 Science Translational Medicine誌に研究チームは記している。
NETの放出
細菌などの有害な病原体に対し、最初に反応する好中球は、ヒト免疫システムの重要な構成要素である。好中球は、体内から有害な病原体を除去する方法の一つとしてNETを形成する。NETは、DNAと毒性酵素からなる網状の構造物で、侵入してきた病原体を捕獲し、殺傷する。
過去10年間、がんにおける免疫系細胞の役割、すなわち腫瘍の発生、増殖、転移を促進あるいは抑制する働きに強い関心が寄せられてきたと米国国立がん研究所(NCI)がん研究センターのRosandra Kaplan医師は述べる。Kaplan医師の研究は、転移を促進する腫瘍微小環境とその具体的な構成要素(免疫細胞など)に焦点が当てられている。
しかし、好中球はT細胞やマクロファージといった他の免疫細胞ほど注目されてこなかったとKaplan医師は続ける。
「これまで表舞台で脚光を浴びてきたのはT細胞でした。T細胞は、最強の腫瘍殺傷細胞であり多くの注目を集めてきたのです。一方、好中球は生成された後、長期間体内に留まることはありませんし、殺傷能力も他の免疫細胞ほど強くありません。したがって、好中球のがんを促進するという有害性、あるいは抗腫瘍兵器としての有能性に関する研究はそれほど多くはないのです」。
他方、Egeblad博士のチームは、好中球とがんの転移を関連付けた先行研究を検証し、好中球が転移プロセスをどのように、またどこで促進するのかについて洞察を深めるため、最初に乳がんの転移に着目した。
たとえば、転移率の高い乳がんのマウスモデルにおいて、好中球とそれらを集めるシグナル伝達分子が原発腫瘍と転移腫瘍に極めて多く存在していることを確認した。
しかし、NETの潜在的役割が解明されたのは、生体内共焦点肺画像 (CILI)として知られる先進造影技術に目が向けられてからであった。肺に選択的に拡散する乳がん細胞をマウスに注入し、これらのマウスの肺をCILIを用いて精査したところ、一部の細胞から突出している構造物が確認された。追加実験により、その構造物がNETであることが判明した。
また、肺感染の徴候が認められないにもかかわらず、マウス体内のNETの数は乳がん細胞注入後、何日間も増加したままであったとEgeblad博士の研究チームは報告している。
ヒトの乳がんにおいてNETが発現しているのかを確認するために、研究チームは乳がん患者から得た原発腫瘍と転移腫瘍の各サンプルを分析した。両方のサンプルからNETが確認されたが、最も多く、また最も高い確率でNETが認められたのは、トリプルネガティブと呼ばれる転移率の高い乳がんの女性から得た腫瘍サンプルであった。
実験室での追加実験により、悪性度の高い乳がん細胞が存在する中で好中球を培養すると、頑強なNETが形成され、がん細胞の悪性度が著しく増強されることが示された。一方、急速に増殖・転移しない乳がん細胞が存在する中で好中球を培養した場合、頑強なNETが形成されることも、がん細胞の悪性度が増すこともなかった。
他の実験では、がん細胞が、免疫細胞における重要なシグナル伝達経路を作動させることにより好中球を誘導し、NETを形成、放出させている可能性が示唆された。
NETの分解
Egeblad博士らは、DNAを主成分とするNETsの構造には脆弱な面があり、それを利用することが可能なのではないかと推測した。同様のことが嚢胞性線維症の治療で既に行われている。
嚢胞性線維症では、肺に厚い粘液層が付着することが特徴の一つで、その一因となっているのが持続感染によって引き起こされるNETの集積である。したがって嚢胞性線維症患者には、DNA分解酵素の一つDNase Iを含有する吸入剤でNETの集積を分解し、粘膜層を薄くするという治療法がよく用いられる。
転移性乳がん細胞株では、DNase Iの有効性を示す明確な徴候が現れた。しかし、この酵素を肺がんマウスモデルで試験したところ転移に対する効果は「安定性に乏しかった」とEgeblad博士は述べる。
Egeblad博士の研究チームはDNase Iに関する過去の研究データに基づき「転移性乳がん細胞を注入されたマウスの体内では、DNase Iは急速に分解されるのではないか、また律速因子となっているのではないか」と推測した。
そこで、ダナファーバーがん研究所のMichael Goldberg博士に協力を求めた。Goldberg博士の研究室では、酵素と結合可能なナノ分子の開発に成功している。このナノ分子に結合させた酵素は長期間、安定的に作用することが可能となる。
この方法は功を奏した。ナノ分子と結合させたDNase Iで治療した最初の3匹のマウスで「極めて顕著な効果が確認された」とEgeblad博士は述べている。
全体として、ナノ分子結合DNase Iで治療したマウス9匹中3匹に検出可能な転移が認められなかった。また、これらのマウスすべてで、転移巣の数が、ナノ分子非結合DNase Iで治療した対照群よりも少なく、またサイズも明らかに小さかった。
バランスの解明
好中球などの免疫細胞を含め、腫瘍微小環境に存在する各作用因子がどのように働き、腫瘍の増殖や転移を促進あるいは抑制しているのかについて、まだ明らかにされていない部分が数多く残されているとKaplan博士は警告する。
確かに、NETが転移を促進する可能性があるという知見は「これまでにない全く新しいもの」ではある。しかし、長鎖ノンコーディングRNA、エクソソームと呼ばれる小胞体など、細胞により排出される他の構造物が転移に関与していることを示した研究もあり、それらの研究結果とNETの研究結果は一致しているという。
Egeblad博士は、問題は更に複雑であると強調する。好中球、マクロファージなどの因子が状況により腫瘍の発生を促進したり抑制したりすることが、入手可能な研究結果から強く示唆されているというのである。
また、ある免疫細胞ががんの発生を促進するか抑制するかを決めるのは「微妙なバランスであると考えられ」、このバランスはさまざまな要因によって左右される。そしてこの説は、解明され始めたばかりであるとも述べている。
Egeblad博士の研究チームは、自らの知見の更なる展開を目指す。たとえば、遠隔部位に転移したがん細胞が転移巣を形成する際、NETがどのような促進的役割を果たしているのかをより正確に把握するために、実験を重ねている。しかし、それでも全てを解明するには至らないだろうとEgeblad博士はいう。そして次のように述べた。「腫瘍が転移を促進するためにさまざまなプロセスを乗っ取ることは承知しています。今後、われわれに必要なのは、他のがん種にも着目し、腫瘍が専ら同じプロセスのみを利用しているわけではないという考えを受け入れていくことです」。
【画像の解説】
正常な好中球(左)と、病原体を捕捉し死滅させるトラップ(右)を放出した好中球。
NETと呼ばれる好中球(後者)が、がん転移を促進している可能性があると、新たな研究により示唆された。
提供:コールドスプリングハーバー研究所Mikala Egeblad
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