乳がんは周りの感覚神経を利用して広がる可能性

身体には、触覚、痛覚、温度覚などの感覚を神経系に伝える感覚神経がぎっしり詰まっている。これらの神経は、あらゆる臓器や多くの腫瘍の組織を通って絡み合っている。そして新たな研究によれば、乳房腫瘍は、これらの神経を利用して体の他の部位に転移しやすくするという変わったやり方をしている。

これまでの研究から、がん細胞と特定の神経細胞との接触によって腫瘍増殖が促進されることがわかっている。ある種のがん細胞が神経に沿って這い回り、転移することも観察されている、と本研究責任者Veena Padmanaban博士(博士研究員、ロックフェラー大学)は説明する。

研究チームは、感覚神経が乳がん転移で重要な役割を担っていることを示唆していたが、乳がん細胞はまったく異なる方法で感覚神経を利用していることを発見した。腫瘍内の血管が放出する分子によって、神経が腫瘍に引き寄せられるという複雑なプロセスが研究で明らかになった。この接近によって引き起こされる生物学的変化は、最終的にがん細胞内の転移促進遺伝子の活性化につながる。

「これは接触に依存しないメカニズムです。がん細胞が神経に接触していなくても、この情報伝達は起こります」とPadmanaban博士は説明した。

この知見は8月7日付Nature誌に掲載された。

このプロセスが発見されたことで、それを阻止して乳がん転移を防ぐ治療法の開発の可能性が示されたと研究チームは考える。実際、本研究において、化学療法による吐き気や嘔吐を予防するために使用される薬剤が、乳がんモデルマウスにおいて神経とがん細胞の相互作用のステップのひとつを阻害し、腫瘍の増殖と転移を止められることがわかった。

神経系の利用で促進される腫瘍増殖

この10年間で、神経系が腫瘍の増殖と転移を促す複雑なプロセスがだんだん明らかになってきた。神経系が腫瘍の増殖に寄与しているらしいという事実は、驚くほどではないと、Brunilde Gril博士(NCIがん生物学部門)は話す。同博士は本研究には関与していない。

「神経系は身体の多くの生理的機能に関与しています」とGril博士は言う。例えば、神経は臓器の発達を支え、上皮細胞の機能を調節している。上皮細胞は体内で最も多く存在する細胞であり、ほとんどの乳がんは上皮細胞から発生する。

本研究主任研究者であるSohail Tavazoie医師の研究室で実施された先行研究では、体内に広がった乳房腫瘍の血管がSLIT2と呼ばれるタンパク質を発現していることがわかった。SLIT2は、体内で神経が増殖する場所を指示する役割を担うものである。

Padmanaban博士とTavazoie研究室の研究員らは、NCIも資金提供をしている今回の最新の研究において、腫瘍微小環境内の神経が乳がん細胞との相互作用により、腫瘍の増殖と転移を促進するかどうかを確かめようとした。

一連の実験で、腫瘍内の血管が感覚神経を引き寄せるにはSLIT2を発現していなければならないことがわかった。例えば、ヒト乳がん細胞をマウスに移植し、内皮細胞からSLIT2を取り除くと、腫瘍は感覚神経を引き寄せることができなくなった。

乳がん患者から採取した腫瘍サンプルを調べたところ、乳房腫瘍に感覚神経が多く存在する人ほど、がんが転移しやすいことがわかった。また、乳がん細胞を移植したマウスでも同様の影響が観察された。

離れた所から転移を促進する

これらの実験では、感覚神経が腫瘍の増殖と転移を促進しているように思われたが、2つの細胞タイプは物理的に接触していなかった。では、神経はどのように影響を及ぼしていたのだろうか?

研究者らは、神経と乳がん細胞の両方から分泌される物質を分析・検査した結果、感覚神経から放出されるサブスタンスPと呼ばれる小さなタンパク質によって、培養皿で増殖する乳がん細胞の増殖と拡大が大幅に促進されることがわかった。大量のサブスタンスPは、リンパ節に転移したヒト乳房腫瘍サンプルからも検出された。

乳房腫瘍のあるマウスでは、サブスタンスPを阻害することで腫瘍の増殖と転移が大幅に抑制された。

しかし、サブスタンスPはどのようにして転移を促進したのだろうか?Padmanaban博士らは、サブスタンスPが腫瘍細胞上のTACR1という受容体に結合することによって、その効果を誘発することを発見した。

驚くべきことに、この結合が起こると、受容体TACR1を高レベルで発現している一部の乳房腫瘍細胞が死滅した。

これらの細胞が死ぬと、遺伝物質の一種であるssRNAが放出された。これは通常、ウイルス感染が起こったことを身体に知らせるシグナルである。

このssRNAは、がん細胞にみられる別の受容体であるTLR7のスイッチを入れた。TLR7は身体の正常な免疫反応に関与しているが、腫瘍細胞の拡散を助けることもあると多くの研究で示されている。

このシナリオでは、転移は「少数とは言え、有意な数のがん細胞が死ぬことに依存しているようです」とTavazoie医師は説明した。「死滅することによって、腫瘍内の残りのがん細胞の増殖と転移を助けているのです」。

この転移プロセスを止めることはできるのか?

このプロセスが機能するためには、非常に多くのピースがぴたりとはまる必要があることから、ジェンガタワーで抜いてはいけないピースを抜いてしまうように、プロセスのほんの一部を邪魔するだけで全体が崩壊するのではないかと研究者らは考えた。

アプレピタントは、米国ではCinvantiやEmend[イメンド]といった商品名で販売されており、一部のがん治療に伴う吐き気や嘔吐の治療用に承認されている薬で、TACR1を阻害することによって作用する。このTACR1が、今回新たに発見された転移プロセスに関与する最初の分子の一つである。

転移性乳がんの複数のマウスモデルにおいて、アプレピタントをマウスに投与すると腫瘍の増殖が遅くなった。また、別のモデルマウスでは、アプレピタントを投与したマウスは投与しなかったマウスに比べ、転移する確率がかなり低かった。

アプレピタントは承認された薬剤であるが、腫瘍の進行や転移に対する影響の可能性についてヒトで試験されたことはない、とGril博士は説明した。しかし、マウスを用いた実験の有望な結果は、アプレピタントの長期使用の可能性や他のがん治療との相互作用を評価する研究をさらに進める根拠になるとも述べている。

アプレピタントをがん治療用に使用するという発想は、「議論が進んでいる大きなテーマ、つまり、別の目的の薬剤をがん治療に活用することに関わります」とPadmanaban博士は述べた。他の研究者らは最近、高血圧の治療に処方されるβ遮断薬に抗転移作用があることを発見している。このアイデアについては現在、臨床試験が行われている。

Padmanaban博士は、感覚神経とがん細胞との間の情報伝達が、乳房腫瘍形成のどの時期から始まるのか、あるいは免疫細胞など体内の他の種類の細胞もこの過程に関与しているのかどうかについては、まだ明らかではないとし、「まだまだやるべきことはたくさんあります 」と付け加えた。

  • 監修 下村昭彦(乳腺・腫瘍内科/国立国際医療研究センター乳腺腫瘍内科)
  • 記事担当者 山田登志子
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  • 原文掲載日 2024/09/20

この記事は、米国国立がん研究所 (NCI)の了承を得て翻訳を掲載していますが、NCIが翻訳の内容を保証するものではありません。NCI はいかなる翻訳をもサポートしていません。“The National Cancer Institute (NCI) does not endorse this translation and no endorsement by NCI should be inferred.”】

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