予期しない効果―がん治療のアブスコパル効果の研究

ある女性患者には、もう治療の選択肢がなくなってしまった。稀な形態の肉腫は転移し、治療による効果を示さなくなった。

セントルイスのワシントン大学医学部の医師らは、次に、一番大きな腫瘍に陽子線治療を開始した。腫瘍の成長を遅らせて、67歳の患者が可能な限り快適に生活を送れるようにしようとした、と医療チームの一人であった放射線腫瘍医、Brian Bauman医師は振り返った。

しかし、陽子線を1コース照射した後、医師らは画像に映った腫瘍の変化に驚いた。照射した腫瘍だけではなく、治療を行っていない他の部位にあった腫瘍も縮小していたのだ。

腫瘍は時間とともに縮小し続け、最終的には消滅した。

「約3年経ちますが、彼女は生きていてとても元気です」とBaumann医師は言う。彼の医療チームは、最近、この患者にアブスコパル効果として知られる治療に対する稀な反応を確認したと発表した。

「アブスコパル効果は興味を引く現象です」とBaumann医師と言い、1950年代初期にマウスを使った実験で初めて確認されたと語る。

放射線治療、または別の種類の局所療法が、標的の腫瘍を縮小させるだけでなく、離れている未治療の腫瘍も縮小させることをアブスコパル効果という。アブスコパル効果を誘導する正確な生物学的メカニズムはまだ調査中だが、免疫システムが重要な役割を果たすと考えられている。

免疫システムを目覚めさせる

「アブスコパル効果が起こる患者は、一つの腫瘍を治療することにより、免疫システムが活性化されて他の腫瘍を認識するようになるのです」と、スタンフォードがんセンター放射線腫瘍医Billy W. Loo, Jr.医師は言う。

放射線照射を受けることにより、免疫システムが脅威として検知する物質をがん細胞が放出し、全身の免疫反応が誘発される可能性がある、とアブスコパル効果と免疫システムの関連性の立証に貢献したワイル・コーネル医科大学のSilvia Formenti 医師は説明する。

「照射された腫瘍は、ある種ワクチンとなる可能性があります」とFormenti 医師は続けた。この方法は、放射線療法との併用など、さまざまな方法で治療に組み込める、in situワクチンと呼ばれる。

Loo 医師によると近年、新しい免疫療法薬が開発され、免疫システムのがんに対する作用への理解が深まったことにより、研究者の間でアブスコパル効果に対する関心が再び高まっている。

「アブスコパル効果」という言葉がPubMed科学出版物データベースで言及されたのが、10年前にはわずか4件だったのが、2019年には120件近くまで増えている。

多くの研究は、アブスコパル効果がなぜ起こるのかを解明することに注力している。また、研究者らは、転移がんに対してアブスコパル効果の発現する可能性を高める併用療法を研究している。

放射線との歴史的なつながり

1953年にRH Moleという研究者が、放射線がマウスの片側の腫瘍を縮小させ、反対側の未治療の腫瘍をも退縮させたことを示し、アブスコパル効果を初めて示唆した。

放射線以外の治療によっても起こるこの効果を説明するために、Mole医師は「標的から離れた」という意味でラテン語から派生した、“abscopal(アブスコパル)”という言葉を使用した。

Mole医師の報告後、数十年もの間、放射線腫瘍医の多くは稀にしか発生しないアブスコパル効果の存在を疑っていた。「アブスコパル効果は予期せず起こり、その効果が劇的であるため、放射線腫瘍学における伝説の一部となりました」とLoo医師は述べた。

 しかし、彼のみならず、医師や研究者は、この現象が現実のものであり、より確実に発生させられる可能性がある、という証拠がそろってきていると指摘する。

アブスコパル反応は、黒色腫、乳がん、肺がん、肝臓がんなどのさまざまながんで確認されている。近年、胸膜中皮腫や胸腺がんなど、あまり一般的ではないがんにおいても効果が確認されている。

ほとんどの放射線腫瘍医が、アブスコパル効果を経験したことがないが、経験者の口からはそれは驚くべきものであるという言葉が出てくる。「医師として、その効果を目の当たりにすると、衝撃を受けます」とFormenti 医師は言う。「一度その効果を見れば、忘れることはないでしょう」。

免疫反応への障壁を乗り越える

がん細胞は、免疫システムによる検知および攻撃を妨害しようとするので、アブスコパル効果は稀にしか起こらない。

「免疫システムによる腫瘍の検知および攻撃を妨害する方法がいくつもあることを考慮すると、放射線照射のみによるアブスコパル効果の誘導は望めないでしょう」とFormenti 医師は述べた。「免疫システムが、がんを検知し攻撃することを妨害する、がん細胞のいくつかの防御作用を止める必要があります」。

アブスコパル効果を誘導するには「免疫システムによる腫瘍への攻撃を妨害する、がんの生物学的メカニズムを打破する必要があります」と、米国立がん研究所CancerMoonshot℠(がんムーンショット)計画の一環として、アブスコパル効果を誘導する治療を研究する、ウィスコンシン大学のZachary Morris医師は述べる。

Morris医師らは、がん細胞が免疫システムによるがん細胞の検知および攻撃を妨害する能力を消失させ、免疫システムの攻撃力を復活させて、再びがん細胞の検知および攻撃を行わせることができるよう、マウスによる実験を行っている。

分子放射線療法として知られる方法では、マウスのすべての腫瘍に低線量の放射線を照射する。放射線照射により、がん細胞に対する免疫応答を阻害しているリンパ球と呼ばれる腫瘍内の免疫細胞を一時的に消失させることができる。

Morris医師は、体内に存在する他のリンパ球が放射線の影響を受けず、免疫細胞の腫瘍への攻撃を妨害する障壁を乗り越えることができれば、腫瘍への攻撃が可能なはずだと述べる。

「がんに罹患したイヌでこの方法を試す予定です。自然に発生した腫瘍を持つイヌは、ヒトにとって有効な動物モデルとなります」と語る。 

免疫療法と放射線の併用

アブスコパル効果を誘導するためには、放射線と免疫チェックポイント阻害薬を併用して、がんに対する免疫反応を高める、という方法もある。

放射線治療に免疫チェックポイント阻害剤を追加すると、放射線のみの治療と比較して、アブスコパル効果発現の可能性が高まるという臨床試験結果が増加している。

Morris医師が述べた2つの方法は補完的であるかもしれない。放射線は免疫システムにがん細胞を検知させる、そして免疫チェックポイント阻害剤は免疫反応を強める一助となる。

併用療法は一部の患者のアブスコパル反応を高める可能性があるが、この方法では依然として「確実なアブスコパル効果の発現には至りません」とLoo 博士は述べ、「最適な方法を知りたいと強く思っています」と付け加えました。

アブスコパル効果に関するいくつかのサイエンスワークショップを率いてきた、米国立がん研究所がん治療および診断部門のMansoor Ahmed博士は、放射線治療と免疫チェックポイント阻害剤による、両方の治療を受けている患者に対して、アブスコパル反応の発現率を高める試みが行われていると語る。

「しかし、大きな課題は、どの放射線療法、どの程度の線量が、免疫療法との併用によってアブスコパル反応を誘導する可能性が最も高くなるのかという、基礎研究や前臨床研究からのデータがないことでした」と続けた。

アブスコパル反応を発見する

一方、腫瘍を直接攻撃する局所治療によって、アブスコパル反応が予想外に起こったという報告が、研究者らから引き続き寄せられている。

例えば、コロンビア大学の研究者らは、ナノボディーと呼ばれる一種の免疫治療薬を運ばせるために遺伝子操作した細菌を用いて、マウスの個々の腫瘍に注入する実験中にアブスコパル効果を認めた。この薬は、CD47と呼ばれるがんの成長を促進するタンパク質を標的とする。

マウスの腫瘍に細菌を注入することによって、腫瘍縮小を促す免疫反応を誘導した。反応した免疫細胞の一部が他の未治療の腫瘍に移動し、これらの離れた腫瘍も同様に成長速度が遅くなったことを研究者らは確認した。

「予想どおり、細菌を注入した腫瘍は10日以内に消失しましたが、未治療の腫瘍に非常に興味深いアブスコパル効果を認めました」とコロンビア大学の博士候補であり、共著者のSreyan Chowdhury氏は述べている。「これは驚きでした」。

「細菌は、アブスコパル反応を誘導するという点で、放射線の果たす役割に似ていると考えています」と言い、標的の腫瘍に注入された細菌が他の腫瘍に広がることはなかったと付け加えた。

この方法は、免疫活性を刺激し、画像診断で検出するには小さすぎる腫瘍を見つけて攻撃する方法になる可能性がある、とコロンビア大学のバイオメディカルエンジニア、Tal Danino 博士は付け加えた。

体の両側に黒色腫のあるマウスを使った最近の研究結果から、インフルエンザワクチンは、腫瘍への注入によりアブスコパル効果を誘発するもう一つの治療法となる可能性があることがわかった。

インフルエンザワクチンを一つの腫瘍へ投与すると、その腫瘍だけではなく、体の反対側にある未治療の腫瘍の成長も遅らせた。

「マウスの体の両側にある腫瘍の成長がほぼ同時に減速することを確認しました」と、HIVなどの感染性病原体がどのようにがんへの反応を変化させるかを研究する、ラッシュ大学医療センターの主任研究者Andrew Zloza 医師は述べる。

Zloza 医師のチームは、肺転移を伴う乳がんを持つマウスの腫瘍にインフルエンザワクチンを投与し、黒色腫のマウスと同様の結果を得た。

インフルエンザワクチンを腫瘍に注入したすべてのマウスで、がん細胞を検知および攻撃する特定の免疫細胞の活性化を認めた。これらの一部の免疫細胞は、他の腫瘍に移動するための準備を整え、腫瘍の局所環境を変化させたことが確認された。 

「これらの免疫細胞は、他の場所に何らかの危険を検知したときに移動することができます。体内にある他の腫瘍を見つけることができるのです」とZloza医師は語る。さらに研究を進めて、どのタイプの免疫細胞がマウスに起こるアブスコパル効果にとって最も重要であるかを見極めることが必要であると言う。

研究者らは改良を重ね、マウスに免疫チェックポイント阻害剤とインフルエンザワクチンを併用し、効果を確認した。マウスでの併用治療は、インフルエンザワクチン単独よりも高い効果を示唆した。

FDAによって承認されたインフルエンザワクチンは、安全、安価で容易に入手ができ、治療法の候補として臨床試験で評価可能である、といくつかの臨床試験を計画しているZloza 医師は述べる。

「臨床試験を行うときが来ました」と続けた。「インフルエンザワクチンを抗がん剤として再利用できるかどうかを確認する必要があります」。 

陽子線治療の追求

ワシントン大学医学部でアブスコパル効果を示した肉腫患者は、陽子線治療によりこの反応を示した初期の患者の一人だった。

Baumann医師は、アブスコパル反応を誘導するうえで、陽子線治療は、X線、ガンマ線、または中性子といった高エネルギー放射線を用いる従来の放射線治療よりも優れた効果を示す可能性がある、と示唆した。

放射線の種類による違いとして、ガンマ線とX線が体内を通過するときに停止しないのに対して、陽子線では深さを制御できるため、意図せず健康な組織に達してしまう放射線量を減少させる可能性がある、といったことがあげられる。

「陽子線を使用すると放射線の被ばく量が少なくなります。つまり、血液のみならず、腫瘍細胞を攻撃する、血液中に循環する免疫細胞への放射線の暴露が減ります」と説明する。

「免疫細胞は放射線に非常に敏感です」と続ける。「免疫細胞への高い曝露は免疫細胞を死に至らしめる可能性があり、アブスコパル効果を抑制するでしょう」。

Baumann医師は、同種の肉腫を持つ患者への陽子線治療による効果についてはさらなる研究が必要だと付け加えた。

さらなる研究と「新しい法則」

Formenti 医師は、放射線による転移がんへのアブスコパル反応を誘導するためには、より効果的で再現可能な方法を研究する必要があると述べる。

多くの臨床試験が、がん患者への免疫療法と放射線治療を研究しているが、アブスコパル効果を誘導するためにどのように、どの線量の放射線を照射するべきか、というエビデンスを確立することを目的とした大規模な臨床試験はまだ存在しない。

「最良の結果を導くには、放射線の照射方法を変える必要があるかもしれません。通常の放射線治療にて行われる放射線の照射方法を行えばよい、といった簡単ではないかもしれません 」とFormenti 医師は語る。

「アブスコパル反応については、何らかの新しい法則に従う必要があるかもしれません。その法則が何かもまだわかってはいませんが」と続けた。

翻訳担当者 為石万里子

監修 田中謙太郎(呼吸器内科、腫瘍内科、免疫/九州大学病院 呼吸器科)

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