民族差と遺伝子検査へのアクセス格差が前立腺がんの発症および治療に影響
ESMOプレスリリース
2020年には世界で140万人を超える男性が前立腺がんと診断されたが(1)、世界の患者の大部分で疾患の分子特性は探究されないままである。毎年11月に、前立腺がん、精巣がん、男性のメンタルヘルスなど男性の健康問題への啓発を目的としたMovember(モーベンバー)キャンペーン(2)が開催されているが、このキャンペーンが終盤を迎える中、 12月2~4日にシンガポールで開催される欧州臨床腫瘍学会(ESMO)アジア会議2022に合わせて、民族的に多様な前立腺がんゲノムデータと利用可能な遺伝子検査の必要性を強調する2つの試験が発表された。
前立腺がんはBRCA遺伝子関連悪性腫瘍として確立された腫瘍であり、遺伝性腫瘍症候群の結果として発症する可能性がある。その素因は民族によって異なり、アフリカ系およびカリブ系男性でリスクが高いことが知られている。しかし、腫瘍に生じる体細胞変異に祖先が及ぼす影響についてはようやく理解され始めたところであり、おそらく民族性に関連した、遺伝要因と非遺伝的な社会環境要因の両方の結果であると考えられる。「このような人種差は、疾患の性質や治療に影響を及ぼす可能性がありますが、現時点で前立腺がんのゲノムに関する知見はヨーロッパやアメリカからのデータにほぼ限られており、アジア系やその他の非白人系民族に関するデータはほとんどありません」と語るのは、Oncoclinicasグループ(ブラジル、サンパウロ)およびVall d’Hebronがん研究所(スペイン、バルセロナ)の専門家、Rodrigo Dienstmann博士である。博士は本研究には参加していない。
試験(3)では、中国人患者1,016人の腫瘍のターゲットシーケンシングを行い、その結果をThe Cancer Genome Atlas(TCGA、がんゲノムアトラス)(4)、スローンケタリング記念がんセンター(5)、および Stand Up to Cancer(SU2C)(6)の白人男性を代表するコホートの公開ゲノムデータと比較することで、中国人男性における前立腺がんのゲノムの全体像に違いがあることが新たに確認された。
「われわれが観察した最も重要な違いは去勢感受性前立腺がんに集中しており、欧米コホートと比較して、中国人患者ではTP53やPTENなどの前立腺がんドライバー遺伝子の変異率が低いことがわかりました。これが、このようなアジア系男性で予後が良好である一因になっているのかもしれません」と、試験著者である復旦大学上海がん病院(中国)のYu Wei博士は報告している。Wei氏によれば、ドライバー変異の違いによって治療効果が異なるとすると、欧米人患者を対象とした臨床試験で示された最新の標準治療の有用性をアジア人患者にも当てはめることができるのかという疑問が生じる。
去勢抵抗性前立腺がんでは、2020年にPARP阻害薬のオラパリブが承認されたことにより、DNA損傷修復(DDR)を担う15の遺伝子群(BRCA1、BRCA2を含む)の遺伝子検査が臨床現場に導入され、転移性前立腺がん患者の死亡リスクが30%低下した(7)。中国の研究では、これらの治療の効果を予測する遺伝子の変異率が、病期にかかわらず人種間で類似していることが明らかになった。「これは、PARP阻害薬が利用可能であるならば、中国人患者でも同じ利益が得られるということを示唆しています。ですから、転移性前立腺がんのアジア人男性は全員、遺伝子検査を受けるべきだと私たちは提案しているのです」とWei氏は述べている。
この結果について、Dienstmann氏は次のように言及する。「転移性の治療抵抗性前立腺がんに見られるゲノム不均一性は、何年にもわたる治療によって腫瘍が進化した結果であると理解することができますが、民族差は原発腫瘍でも見られ、人種によってがん発生の基軸が異なることが確認されたのは注目に値します。これらの知見は、アジア人(8)やアフリカ人(9)を対象とした最近の他の研究と一致しており、前立腺がんゲノムデータベースの多様性を高め、分子疫学、ひいては各国で実施して行くべき検査の戦略について理解を深めていくことの重要性を強調しています」。
ESMO前立腺がん診療ガイドライン(10)では、転移性前立腺がんのすべての患者に対して、腫瘍検査と並行して、または腫瘍検査後にBRCA2およびその他のDDR遺伝子の生殖細胞系列遺伝子検査を行うことを推奨しているが、がんの家族歴を有する人に対しても、変異保有者を早期に特定し、血縁者における腫瘍の予防および早期診断に役立つとして推奨している。しかし、現実はほど遠く、検査へのアクセスが将来的に健康格差を広げる要因になりかねない。
レプリゼンテーションの平等から治療アクセスの平等へ
ESMOプレシジョン医療ワーキンググループが推奨する前立腺がんの分子検査法は、多遺伝子次世代シーケンシング(11)であるが、この検査はコストが高く、質の高い分析と複雑な解釈が要求される。ESMOが最近行った「欧州における腫瘍学分野の生体分子技術の利用可能性とアクセス性に関する調査」の中間結果で示されたように、現在これを利用できるのは一部の学術的ながん専門病院に限られ、低・中所得国ではほとんど利用できない。必要なインフラの開発は、サンプルの取得、調製、保管のためのリソースやワークフローを含んでおり、多くの利害関係者の関与を必要とする大がかりな事業である。
「インドにおける医師の検査パターンに関する調査(12)で示されたような企業による支援プログラムは、患者の検査の受けやすさを改善するために有効かつ必要な第一歩です。今後は、検査アクセスの地域格差や、異なる患者コホートにおけるドライバー変異の保有率について理解を深めていくために、これらのプログラムで得られた知見を公開していく必要があります。しかし、これらのプログラムは長期的に持続可能なものではなく、試験著者ら自身が報告しているように、インドでは薬剤の購入能力や遺伝カウンセラーの利用可能性といった検査後の問題が依然として大きな障壁になっています」と、Dienstmann氏は述べている。「医薬品へのアクセスを支援するためには、国家的な検査プログラムを実施していく必要があります。また、企業は、海外のサンプルの分析を推進するだけでなく、地域の検査エコシステムの構築を支援することで、すべての患者が安価に検査を受けられるように官民パートナーシップへの関与を強化していかなければなりません」。
監修 榎本 裕(泌尿器科/三井記念病院)
翻訳担当者 工藤 章子
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原文掲載日 2022/11/28
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