2019年ノーベル生理学/医学賞、ウィリアム・ケリン氏の低酸素誘導因子(HIF)発見

ダナファーバーがん研究所、ハーバード大学医学大学院およびブリガム・アンド・ウイメンズ病院に所属しているウィリアム・ケリン(William G. Kaelin Jr.)医師が2019年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

この賞はノーベル財団によって運営されており、生命科学や医学の分野で傑出した発見に対して年に一度授与される。スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルによって1895年に設立された5つのノーベル賞のうちの一つである。

今回のノーベル賞は、細胞が酸素濃度を感知し適応するしくみを発見したケリン医師、ピーター・ラトクリフ(Peter J. Ratcliffe)医師およびグレッグ・セメンザ(Gregg L. Semenza)医師が共同受賞した。

ノーベル賞の受賞決定は、3氏がアルバート・アンド・メアリー・ラスカー財団による2016年ラスカー医学研究賞を受賞した後に発表された。ラスカー賞はアメリカで最も権威ある生物医学賞であり、受賞者の多くがノーベル賞を受賞している。3氏は他にも、生物医科学と健康増進への優れた貢献に対してメイラ・アンド・シャウル・G・マスリー財団が授与するマスリー賞を2018年に受賞している。ケリン医師と共同受賞者はマスリー財団から賞金200,000ドル(約2100万円)を受け取った。1996年に設立されたこの賞の受賞者のうち12人が、ノーベル賞を受賞している。

ケリン医師は1998年以降、ハワード・ヒューズ医学研究所の研究者でもある。

ケリン医師はダナファーバー研究所において、がん抑制遺伝子として知られる遺伝子の変異がなぜがんの原因となるのかに注目してきた。そのようながん抑制遺伝子の一つであるVHLは、変異すると、腎臓がん罹患リスクが高いフォン・ヒッペル・リンドウ病という難病の原因となる。

VHLの研究によって、ケリン氏と共同受賞者たちは、人々が高地の薄い空気に順応するとき身体がいかにして酸素の変化を感知し適応しているかという、長年の生物学的な謎を分子学的に解明し、大きな発見を成し遂げた。

この謎を追究することで、ケリン医師はVHLタンパク質が低酸素誘導因子(HIF)という、赤血球の産生や新しい血管の形成を促進または抑制する、酸素状態に敏感なタンパク質の発現量に大きく関与していることを発見した。さらに、同氏はHIFの酸素感受性に関わる分子スイッチを発見した。VHL遺伝子が変異したがん細胞は、増殖に必要な栄養を得るため、この調節機構を悪用してがん細胞周辺に新しい血管をはりめぐらせる。この過程を血管新生という。

ケリン氏は、がん抑制遺伝子の変異が、血管の形成に必須で腫瘍の増殖を促すVEGFタンパク質の大量生産につながり、腎臓がんを引き起こすことを発見した。ケリン医師のVHLタンパク質の研究は、腎臓がんの治療に用いるVEGF阻害薬の臨床試験を成功へと導いた。

ケリン氏は、低酸素状態に対して赤血球産生や血管新生などを誘導するHIFタンパク質の発現量がVHLにより制御されていること発見した。また、ケリン医師は、タンパク質の一種であるHIF-2αが特定の腎臓がんの発生に大きく関与していること、さらにHIF-1αがトリプルネガティブ乳がんの増殖に関与する仕組みを発見した。ケリン医師は、これらの物質をはじめ、変異型酵素であるIDH1やIDH2など、がんに関わる物質を標的とする、デザイナードラッグ (分子構造の組変えにより作られた薬物)による治療法を開発中である。

ノーベル賞やラスカー賞に加え、ケリン医師と2人の共同研究者は、循環器研究の分野における貢献に対して、2010年にカナダガードナー国際賞を、2012年6月にフランス学士院からLefoulon-Delalande財団グランプリを受賞した。

ケリン氏はまた、米国臨床腫瘍学会の腫瘍科学賞、米国がん学会の高松宮妃賞、Steven C. Beering Awardおよびワイリー生物医学賞を受賞した。

「ケリン氏の素晴らしい栄誉を大変嬉しく思います」と、ダナファーバーがん研究所所長兼CEOであるLaurie H. Glimcher医師は述べた。「標高が8,000 mを超える所に登ると、デスゾーンと呼ばれる地帯に入ります。この名前が付いたのは、その標高では、生存するのに十分な酸素がないからです。登山家はみな酸素の必要性をよく理解していますが、ほとんどの人は酸素があって当たり前だと思っています。しかし、すべての動物細胞は酸素がいかに重要かを理解しているため、酸素濃度を感知して細胞の代謝と成長にしかるべく合わせる特殊な機構を持っているのです。ケリン医師と他の2名の研究者は、酸素を感知する機構の発見に対して、本日ノーベル賞受賞が決まりました。この発見はすでにがん領域などで重要な医学的応用につながっています。というのも、酸素利用能はがん細胞が増殖し生存するのに不可欠なものだからです」。

翻訳担当者 太田奈津美

監修 前田 梓(医学生物物理学/トロント大学)

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