がんと気候変動  異常気象による災害がもたらす健康への脅威

米国国立がん研究所(NCI) がん研究ブログ

2017年、米国では4カ月の間に気候変動によって悪化したと思われる4つの大規模災害が発生した。ハリケーン「ハービー」「イルマ」「マリア」とカリフォルニアの山火事である。

その当時は、気候変動とがんとの間に起こりうる関係性についての知識は限られていた。しかし、これらの災害の後、研究者たちは、がん患者がこれらの災害によって受けた影響について調査を開始した。

現在では、山火事の頻発、長期にわたる干ばつや熱波、激化した熱帯性暴風雨の頻発などの気候変動の影響が、がんの多くの側面に影響を及ぼす可能性を示す証拠が増えている。

気候変動と健康に関して米国国立衛生研究所(NIH)の研究を組織する米国環境衛生科学研究所(NIEHS)のGwen Collman博士は、「気候変動は、がんの発生やがん治療に直接的、間接的な影響を及ぼす可能性があると考えられます」と言う。

例えば気候変動に関連した災害で、人々は環境中のがんを引き起こす物質、すなわち発がん性物質に曝される可能性がある。山火事の煙には、ホルムアルデヒドやベンゼンなど、いくつかの発がん性物質が含まれている。

海水温度の上昇によって激化するハリケーンは、がんの治療、診断、検知に利用される医療施設や機器を破壊する可能性がある。人々の医療へのアクセスや、医療従事者による医療提供能力が、しばしば長期間にわたって中断される場合もある。

異常気象は、がんを予防するための取り組みにも支障をきたしうる。干ばつや洪水は食料供給に影響を与え、新鮮な果物や野菜の入手を困難にする可能性がある。また、気候変動に伴う長期の熱波や暴風雨により、人々は屋外での活動を躊躇するかもしれない。

米国国立がん研究所(NCI)のがん対策・人口統計学分野(DCCPS)の環境疫学部門のCurt DellaValle博士は、「異常気象が、がんのリスクやがんを予防・管理するための取り組みに、様々な形で影響を与えているであろうことは確かです」と述べている。

「これらの気象現象を測定し評価することは、気候変動が健康に及ぼす影響を理解し、対処するために重要です」と、NCI気候変動とがんワーキンググループのメンバーであるDellaValle博士は付け加えた。

ハリケーンとがん患者の生存率の関連を探る

気候変動とがんに関する研究の多くは、ハリケーンや山火事ががん治療に与える影響に焦点を当ててきた。

気候変動ががんに与える影響を測定した最初の研究のひとつは、肺がんで放射線治療を受けた患者を対象とするものだった。ハリケーンで災害宣言された地域で治療を受けることが全生存率の低下と関連していることが、2019年の研究で明らかになった。研究者らは、生存率低下の一因は、ハリケーンに関連した治療の遅れだとしている。

「自然災害のためにがん治療が中断し、患者の転帰悪化につながることは驚くべきことではありません」と、この研究の主任研究者で、米国がん協会の科学ディレクター、そしてNIHが創設した気候と健康研究者グループの1人のであるLeticia Nogueira博士は話す。

しかし、5年前にNogueira博士がこの研究を提案した当初、同僚たちはこのアイデアに興味を示しませんでした。「当時は、気候変動とがんがどう関係しているのかを考える研究者はほとんどいませんでした」と同博士は振り返る。

だが、時代は変わった。Nogueira博士は現在、学会で気候変動とがんに関するセッションを主宰している。そして気候変動研究に関心を持つがん研究者から、頻繁に連絡を受けるようになった。そのほとんどの人が、気候変動に関連した災害で何らかの影響を受けたことがあると付け加えた。

「一般的な見方は、気候変動は将来起こるもので、主に遠くの島国に影響を与えるというものです」と同氏は言う。「しかし、私たちはみな、今ここで、気候変動がもたらす健康被害を経験しているのです」。

気候変動の影響を受ける人々の声に耳を傾ける

気候変動に伴う異常気象の影響を受けたがん患者の体験談が近年語られるようになってきた。ハリケーン・イルマとマリアの後、研究者たちはプエルトリコがこれらの嵐に次々と襲われた際に婦人科がんの治療を受けていた女性を対象とするフォーカス・グループに、聞き取り調査を行った。

その体験から、彼女たちが直面した困難が明らかになった。何人かの女性は自宅の屋根に登って携帯電話の電波を確保し、医師に電話をかけようとした。だが、暴風雨によって島のほぼすべての携帯電話の基地局塔が破壊されたため、電話は繋がらなかった。

1956年以降にプエルトリコを襲ったどの嵐よりも多くの雨を降らせたハリケーン・マリアだが、人為的な気候変動が原因である可能性が高い。フォーカス・グループに参加した女性のほとんどが、がん治療の延期や中止を経験していた。

気候変動はすべての人に影響を及ぼすとはいえ、彼女たちの話は、がんなどの病気にかかった人たちを含め、最も弱い立場にある人たちが最大の打撃を受けることを改めて認識させるものだ、とDCCPSの実装科学チームの疫学者であるGila Neta博士は指摘する。

「社会的に弱い立場に取り残されたコミュニティは、他のコミュニティよりがんの負担が大きい傾向にあり、気候変動はすでに存在する脆弱性を悪化させる可能性がある」とNeta医師は述べる。

災害の健康への影響は、災害が終わった後もずっと続く可能性があると同医師は指摘する。ハリケーン・カトリーナから10年後、乳がんの女性の生存率は、カトリーナを経験した人の方が、経験していない人と比較して低かった。

気候災害がもたらす意外な問題

異常気象はがん患者に対し、暴風雨の影響で治療が受けられなくなること以上に、予測不可能で広範囲な影響を及ぼすこともある。

例えばハリケーン・マリアの影響で、病院用の小型点滴バッグを製造していたプエルトリコの工場が閉鎖に追い込まれた。ほどなくして米国本土の医療施設で、この製品が不足する事態となった。

「プエルトリコのハリケーンが、全米のがん患者にとって重要な輸液の入手に影響を与えるとは、誰が想像したでしょうか」と、気候変動とがんについて執筆している、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の Helen Diller Family総合がんセンター のRobert Hiatt博士は問いかけた。

「この事例は、複雑で相互に関連するのが常であるがん医療が、サプライチェーンの問題に対して脆弱であることを示しています」とHiatt博士は続けた。

同博士はハリケーン・ハービーのような大規模な気候災害やCOVID-19の世界的流行が、「米国の医療システムがいかに打撃に弱いか」を示していると指摘する。そして「気候変動が続くことで、医療現場での混乱がますます増える可能性がある」と付け加えた。

山火事と肺がんの関連性を探る

Hiatt博士はカリフォルニアの山火事を体験したことから、気候変動に関心を持つようになった。この山火事の煙により太陽が覆い隠され、街がオレンジ色に染まった2020年に、同博士はサンフランシスコの湾岸地域に住んでいた。

気候変動に伴う長期の干ばつや熱波により、米国西部では大規模森林火災のリスクと範囲が拡大している。そして、ある研究では、これらの火災の煙にさらされた消防士に、肺がんのリスクが高まる可能性を示唆している。

発がん性物質に加え、山火事の煙には微粒子物質と呼ばれる小さな粒子が含まれている。自動車の排気ガスや化石燃料の燃焼による煙にも含まれているこれらの微粒子への曝露は、肺や心臓に影響を与える可能性がある。

研究者らは気候変動との関連で、微粒子物質とがんとの関連性を探ってきた。

例えば、ある研究により、大気中の微粒子物質に起因する肺がん死亡の世界的負担が、ここ数十年で増加していることが判明している。

数十年にわたる曝露のデータを収集する

DellaValle博士によれば、気候変動に関連したがん発症の最大の脅威は、大気汚染やその他の発がん性物質への曝露、食物や水の供給困難だと考えられる。

気候関連災害への曝露ががんリスクにどのように影響するかを知るためには、研究者は人の生涯にわたる曝露に関するデータを収集する必要があるかもしれないとDellaValle博士は述べた。

Nogueira博士も同意見で、「今現在は、異常気象時に放出される発がん性物質への曝露に関するデータは少ない 」と言う。「しかし、研究者、研究助成機関、政府機関には、この分野でより良い結果を出す機会があります」。

新たな技術やアプローチが、健康研究に向けた異常気象のデータを収集するのに役立つ可能性がある。例えば災害の後、被災地に住んでいた人々にアンケートを送付し、彼らの経験に関する情報を収集することができる、とDellaValle博士は述べた。

未来を理解するために過去を調べる

長年続いている健康調査でも、最近は気候変動に関連する情報をデータベースに追加し始めている。看護師健康調査 (NHS)では、居住地の郵便番号に基づく気温、降水量、湿度などのデータを、参加者一人ひとりの記録に追加している。

1976年以来、NHSは2年ごとに看護師集団から健康情報を収集している。約35万人が、当初のNHS研究とその後の2回のNHS研究に参加している。

ハーバード大学T.H.チャン公衆衛生大学院の環境衛生研究者であり、NHSの研究者でもあるJaime Hart博士 は、この大規模データベースを使うことで、複数の環境要因の相互作用が人の健康に与える影響を調べることができると考えている。

これまでの多くの研究では、大気汚染の健康への影響を気温や降水量と切り離して見てきたとHart博士は指摘する。現在、同博士と同僚らは、人の健康に与える複雑な影響について洞察するために、これらのタイプの変数をあわせて検討していきたいと考えている。

「環境は複雑なシステムであり、複数の相互作用を調べたい」と、同博士は話した。

看護師健康調査には、がんに焦点を当てたチームもある。これらの研究者は、山火事への曝露が乳がんや他のがん患者の生存に影響を与えるかどうかなどについて研究する予定である。

気候変動とがんに関する研究を奨励

「100年に一度の災害が10年に一度の災害になりつつある」と、DellaValle博士は最近のNCI科学顧問委員会の会合で述べた。この会合で理事会は、NCIが支援する気候変動とがんに関する研究をさらに奨励する提案を全会一致で承認した。

投票後、数名の理事が異常気象ががんに与える影響に関して、NCIが「注目すべき時期だ」と述べ、支持を表明した。

「気候変動は、人類が直面している最大の健康上の脅威である」と、DCCPSディレクターのKatrina Goddard博士は理事会で述べた。支援を気候変動とがんに関する研究にも拡大することは、NCIにとって「必要であり良い機会でもある」と彼女は述べた。

「古くは40年前に起きた被ばくを調べており、そうした被ばくをもとに将来起こるかもしれない事象に関する情報を提供することができます」とHart博士は述べる。「私たちは多くの新たな疑問を投げかけることができるようになりつつあるのです。今後が期待されます」。

緊急事態への備えへの注目

Nogueira博士にとって、気候変動がもたらす課題は山積みしている。「やるべきことが多すぎて、圧倒されることもあります」と同博士は言う。「でも、すぐにでも取り組めることのひとつが、緊急時の備えです」。

がん患者は、薬や診断・治療に関する情報を準備しておくことで、緊急事態に備えることができる。緊急時の備えに関してはオンラインの情報源に、ハリケーン、猛暑、洪水への備えに関する情報が掲載されている。

臨床医も同様に準備することができる。例えば、ハリケーン・マリアの際の放射線腫瘍医の経験に基づき、研究者は自然災害時に様々ながんの放射線治療を行うための修正スケジュールを開発した。

放射線治療には機械を動かすための電気と、機械を冷やすための水が必要であるため、災害による断絶の影響を特に受けやすい。

頭頸部がんなど特定のがんでは、放射線治療のスケジュールに予定外のずれが生じると、腫瘍が再発する可能性が高くなると、セントルイスのワシントン大学医学部の放射線腫瘍医Hiram Gay医師は指摘する。同医師は、様々な種類の腫瘍の治療に精通した同僚と共に、修正したスケジュールを開発した。

プエルトリコで育ち、多くのハリケーンを経験したGay医師は、「放射線治療の中断が患者に与える影響を最小限にするために、すべての放射線診療科は詳細な緊急手術計画を持つべだ」と話す。

気候変動が続く中で、より多くの沿岸部の病院がハリケーンに備える必要が出ると予想される。最近の研究では、比較的弱いハリケーンでも、大西洋岸とメキシコ湾岸にある人口の多い米国の都市にある病院のほとんどが浸水する可能性があることがわかっている。

「気候変動により海面は上昇しており、そのことがハリケーンに伴う洪水の一因となる 」と、ハーバード大学の気候・健康・地球環境センターのディレクターであり、主任研究者のAaron Bernstein医師は言う。「そしてほとんどの研究により、気候変動がすでにハリケーンをより激化させたことが示されています」。

ハリケーン被害を受けた地域の病院は、これまでに得た教訓を共有することができる。例えばマイアミのシルベスター総合がんセンターでは、患者ケアユニットと補助発電機を洪水の届かないフロアに設置した。

ヘルスケアの温室効果ガス排出量削減

緊急事態への備えとともに、気候変動の大きな原因となる温室効果ガスの排出量を削減することも、医療機関が今できることの一つである。

「私たちが解決しようとしている問題そのものを助長するようなことはしたくないのです」と、Nogueira博士は言う。米国の医療システムから排出される温室効果ガスは、英国全体の排出量よりも多いと、同博士は指摘する。

テキサス大学MDアンダーソンがんセンターの形成・再建外科医で、病院での排出量削減の方法を検討したAnaeze Offodile II医師は、手術室が病院における温室効果ガス発生の主な要因であると示した。

「手術室で一度だけ使用する物品や器具の量を減らすなどの変更を加えることで、私たちの医療施設の温室効果ガス排出量を削減することができました」と同医師は話した。

医療における排出量削減のための他の戦略として、遠隔医療がある。「患者の移動頻度や移動距離を減らすことで、医療提供における温室効果ガスの排出量を削減することができます」とOffodile医師は述べた。

気候科学者とがん研究者を結びつける

気候変動が及ぼす健康への影響について世界的な関心が高まっている。直近の国連気候変動会議では、気候危機が世界中の人々の健康に与える影響に焦点をあてた健康パビリオンが設置された。

また、NIH気候変動と健康イニシアチブは1年以上にわたり、地域社会が気候災害に適応し、さらなる被害を防ぐために必要な知識を開発するための専門家を集めてきた。NCIもこのイニシアチブに参加している。

気候変動とがんに関する研究が進むにつれ、研究から得られた知識は、がん治療における現在のニーズへの対応に利用できる可能性があると、DCCPSの医療提供研究プログラムのSallie Weaver博士は指摘する。

「例えば、災害時にがん医療を提供する新たな方法を見つけることで、全体としてがん医療へのアクセスを改善できるかもしれません」と、気象災害ががん医療に与える影響に関するいくつかの研究を管理するWeaver博士は述べている。

他の研究者も、気候変動がもたらす課題に機会を見出している。NIEHSのCollman博士は、新たな科学的コラボレーションの出現を指摘しする。

「気候の変化による影響は、誰もが受けています」と同博士は述べる。「私たちの研究パートナーシップは、気候科学と公衆衛生の間のつながりを作り出しています」。

彼女はさらに、「私たちはみな、同じ目標を持っています。気候変動の健康への影響に関する証拠と知識を生み出す能力を向上させることです 」と付け加えた。

  • 監訳 前田 梓(医学生物物理学/トロント大学)
  • 翻訳担当者 片瀬ケイ
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  • 原文掲載日 2023年4月5日

【この翻訳は、米国国立がん研究所 (NCI) が正式に認めたものではなく、またNCI は翻訳に対していかなる承認も行いません。“The National Cancer Institute (NCI) does not endorse this translation and no endorsement by NCI should be inferred.”】"

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