がんワクチンはどこまできたか
キャンサーリサーチUK
予防接種(ワクチン)は、医療界と人の健康に大きな変化をもたらしました。麻疹やおたふくかぜ、ポリオ、そして最近では新型コロナウイルス感染症(COVID-19)から私たちを守ってくれています。さらに、人類史上最も致命的な疾患の一つである天然痘も根絶しました。では、がんでも同じことが可能でしょうか。
多くのワクチンは、予防対象のウイルスや細菌を弱毒化または無毒化したものから作られます。ワクチンは、私たちを実際に病気にすることなく、免疫系が病気と闘う方法を教えてくれます。
COVID-19を例にみてみましょう。新型コロナワクチンは、特定の抗COVID抗体を作るように体を訓練します。この抗COVID抗体は、免疫系が感染を認識し、攻撃する際に使用する血液タンパクです。つまり、後日に万が一COVID-19に接触したとしても、免疫系はそれと闘う方法をすでに知っているということです。
では、このシナリオはがんにおいてはどのように機能するのでしょうか。私たちの体に備わっている免疫系は、がんに対する最大の防御の一つですが、がん細胞は免疫系から逃れる方法を見つけることができます。まさにそのとき、がんが進行し、広がる可能性があります。これを防ぐには免疫力を高める必要がありますが、がんワクチンはその解決策になると考えられています。
がんワクチンは、免疫系を利用して腫瘍を縮小させ、がんを治療する「がん免疫療法」と呼ばれる治療の部類に入ります。
ワクチンとがんの歴史
がんにワクチンを使うという考え方は、それほど目新しいものではありません。長年にわたり、ある種のウイルスが一部のがんのリスク上昇と関連することが示されてきました。例えば、ヒトパピローマウイルス(HPV)は子宮頸がんの原因になります。
HPVは、1980年代に初めて子宮頸がんとの関連が指摘されました。ごくありふれたウイルスで、およそ10人に8人が生涯のある時点でHPVに感染します。すべてのHPVが子宮頸がんを引き起こすわけではありませんが、リスクを高める可能性はあります。
HPVワクチンは、公費接種プログラムとして実施されています。もともとは、二つの型のHPV株(HPV16型および18型)を予防する目的で思春期の女性に接種が行われていました。子宮頸がん患者のおよそ10人に7人は、この二つの型が原因です。現在、HPVワクチンの予防対象は九つの型のHPV株に拡大され、11〜13歳のすべての小児が接種対象となっています。また、接種を受けられなかった人には、25歳まで受けられるキャッチアップ接種が行われています。
2021年に発表された大規模臨床試験の結果は、ワクチンが子宮頸がんのリスク低下に有効であることを示しました。実際、12〜13歳でワクチンを接種した20代の女性で、子宮頸がんの発生率が90%近く低下したことが示されました。
同様に、B型肝炎は肝臓がんと関連し、リスクが15〜25%上昇します。英国内でB型肝炎ウイルスに感染する可能性は低いですが、感染者の多い国に渡航する場合は、予防接種を受けることができます。
しかし、これらはいずれも予防の例であり、ワクチンを使ってウイルスを防ぎ、その結果がんのリスクが低下する、というものです。
がんそのものに対するワクチンの開発は、これとは別物です。このワクチンの背景にある考え方は、がんの予防ではなく、がんの治療にワクチンを使用するというものです。
がんワクチンはどう作用するのでしょう?
従来のワクチンがウイルスの一部を利用して疾患を予防するのと同じように、がんワクチンもがん細胞の表面にある抗原と呼ばれる無害なタンパクを利用します。
この抗原が体内に取り込まれると、免疫系が刺激されて抗原に対する抗体が作られるため、それががん細胞を殺傷する道具になるはずです。
しかし、これは容易なことではありません。腫瘍は患者さんごとに異なり、抗原も異なります。つまり、がんに対する万能ワクチンはあり得ず、腫瘍の種類に合わせて異なるワクチンを作る必要があるのです。
問題はそれだけではありません。腫瘍が産生する抗原の多くは、体内にある抗原と似ています。これらをワクチンに用いると、免疫系が健康な細胞を攻撃する可能性があり、危険な副作用を引き起こす可能性があります。
幸いなことに、健康な細胞にはみられないさまざまな腫瘍特異的抗原と、一部の正常な細胞にも存在する腫瘍関連抗原とが明らかになっています。これらの抗原は、免疫系が体の健康な部分を避けてがん細胞だけを狙い撃ちするための有用な目印となります。
次の段階は、この抗原を体内に送り込むことです。そのためにさまざまながんワクチン技術が試されています。
[がんワクチンの種類] タンパクまたはペプチドワクチン これらのワクチンは、がん細胞内の特殊なタンパクや、タンパクの小さな断片(ペプチド)から作られます。免疫系を刺激してがんを攻撃させることが目的です。多くのがん細胞タンパクで遺伝暗号が解明されているため、実験室での大量生産が可能です。 DNAおよびRNAワクチン これらのワクチンには、通常がん細胞にみられる遺伝物質(DNAまたはRNA)の断片が使われます。体内に注入されたワクチンは、体内の細胞に情報を伝え、免疫反応を開始するタンパクを作るようにそれらの細胞に指示します。 全細胞型ワクチン 全細胞型ワクチンは、特定の細胞抗原だけでなく、がん細胞全体を使って作られます。免疫系が見つけやすいように、がん細胞を実験室で改変します。これらのワクチンには、患者さん自身のがん細胞、他人のがん細胞、あるいは実験室で培養したがん細胞が使われます。 樹状細胞ワクチン 樹状細胞は、免疫系ががん細胞などの異常な細胞を認識し、攻撃するのを助けます。実験室で免疫細胞の一種である樹状細胞をがん細胞と一緒に培養し、ワクチンを作ります。ワクチンが免疫系を刺激し、がんを攻撃させます。 ウイルスワクチン 実験室でウイルスを改変し、がん抗原を体内に送り込むための一種の運び役としてこれを利用することもできます。ウイルスは改変されているため、深刻な病気を引き起こすことはありません。このように改変されたウイルスは、ウイルスベクターと呼ばれます。 一部のワクチンは、ウイルスベクターを利用してがん抗原を体内に送り込みます。免疫系はウイルスベクターに反応します。ウイルスベクターはその後、免疫系ががん抗原を認識し、反応するのを助けます。 さまざまな種類のがんワクチンについては、「がんについて」のページで詳しく解説しています。 |
どこまで進んでいるのですか?
一部のがんワクチンは、他のワクチンよりも有望視されています。樹状細胞ワクチンは、すでにがん患者さんに実質的な効果をもたらしています。このワクチンは、樹状細胞と呼ばれる免疫細胞の一種を使って免疫系を始動させます。
これらの樹状細胞にはがん抗原が取り込まれていて、それをバッジのように細胞表面に提示します。この「バッジ」は、T細胞と呼ばれる他の免疫分子を誘導し、この抗原を持った他の細胞を標的に攻撃します。
シプリューセル-T(販売名:プロベンジ)は前立腺がんの治療薬として開発され、2010年に初の樹状細胞ワクチンとして米国食品医薬品局(FDA)に承認されました。臨床試験では、このワクチンによって死亡リスクが22.5%低下したことが示されました。
樹状細胞ワクチンには、がん細胞だけを狙って攻撃する能力が非常に高いという利点があります。また、患者さん自身のがん細胞を使って作られるため、副作用のほとんどない、安全性の高いワクチンになります。しかし、その製造には費用と時間がかかります。
この種の治療の最大の問題点は、がんが免疫系を抑制してしまうことです。つまり、がんは免疫系の攻撃を積極的に阻止することができるのです。
T細胞には、免疫系が不要なときにそれを抑制する免疫チェックポイントと呼ばれるタンパク質がありますが、がん細胞は免疫チェックポイントに結合し、免疫系をだましてそれを抑制し、攻撃を逃れます。
免疫チェックポイント阻害薬と呼ばれる免疫療法薬は、このような事態を阻止し、免疫系を再び作動させる効果があります。この種の免疫療法は比較的成功してはいるものの、すべての人に有効なわけではありません。
しかし、新しい技術の登場によって免疫学分野は著しい進歩を遂げています。
COVID-19からの教訓
COVID-19の大流行により、ワクチン、特にmRNAワクチンの製造が加速しました。その国際的な成果は、がんワクチンの研究の方向性に影響を与えています。
メッセンジャーRNA(mRNA)は、DNAからの命令をコピーする遺伝物質であり、これをもとに体内でさまざまな機能を果たすタンパク質が作られます。死滅したウイルスや弱毒化したウイルスを使用する従来のワクチンとは異なり、mRNAワクチンではがん抗原の産生を命令するmRNAが使われます。このmRNAを注射すると、私たちの細胞の一部が無害な抗原を作るように誘導され、免疫反応が起こります。
mRNAワクチンの魅力のひとつは、そのスピードと効率性です。不活化ウイルスワクチンの製造には、ウイルスの分離、培養、不活化、そして製剤化が必要ですが、mRNAワクチンの場合、必要なのは正しい遺伝情報配列だけです。
mRNAを使用すれば、ワクチンの特異性をさらに高めることができます。mRNA技術を使って、腫瘍に固有の遺伝子配列や変異をすべて特定することができます。それにより、免疫系は健康な細胞を避け、がん細胞だけに標的を定めて攻撃することができるのです。また、体への副作用も最小限であるため、mRNAワクチンは化学療法に代わる有望な治療法になります。
「mRNAワクチンは、パンデミックから生まれた最も興味深い研究成果の一つで、がんの有力な治療法になる可能性が高いと言われています」。 ―キャンサーリサーチUK、リサーチイノベーション部門エグゼクティブディレクター、Iain Foulkes博士 |
mRNAが治療法の開発に使われるようになるまでに長い時間がかかりました。mRNAは1961年に発見されましたが、実験室でそれを複製するまでにさらに20年を要しました。また、mRNAは非常に壊れやすく、2008年にワクチン内で安定化させる方法が発見されるまでは、体内への送達が大きな課題でした。
このような生物学的な障壁を乗り越えてもなお、mRNAを主流に押し上げるには、パンデミックの後押しが必要だったのです。それまでは臨床試験で使用される程度でした。
次のステップ
今年初め、英国政府は、ファイザー社のCOVID-19ワクチンの開発に貢献したBioNTech社と提携することを発表しました。両者は共同で、今年から始まる新しいmRNAがんワクチンの試験に1万人規模の患者を登録することを目指しています。
「20年以上にわたって研究を進めてきた技術を使い、免疫療法薬やワクチンの開発を加速させることが私たちの目標です」と語るのは、BioNTech社の共同創業者で最高経営責任者のUgur Sahin教授です。
「世界の何億人もの人々を苦しめるさまざまながんや感染症を対象に、協力して取り組んでいきます」。
この提携により、多くの早期および末期がん患者さんが、がんワクチンを含む新たな個別化治療をいち早く受けられるようになります。この計画の一環として、2023年末までに、ケンブリッジにUK研究開発拠点が設置される予定です。
私たちは今どこにいますか?
がんワクチンの製造では多くの課題に直面します。
しかし、中にはすでに解決した課題もあります。腫瘍特異的抗原の発見により、腫瘍を標的にする方法はすでに解明されています。ただ、ワクチンの試験や検査に長い時間がかかることや、腫瘍別に固有のワクチンを開発する必要性など、避けては通れない課題も存在します。
しかし近年、がんワクチンは著しい発展をみせています。mRNAを利用することで、一般的なワクチン開発のスケジュールがより迅速で有効なものへと変わりました。そして今回の新たな提携によって、より多くのワクチン、試験、および参加者が得られるため、開発はさらに加速するでしょう。
数十年前、がんワクチンは夢物語でした。それが今、現実になろうとしています。
- 監訳 花岡秀樹(遺伝子解析/イルミナ株式会社)
- 翻訳担当者 工藤章子
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- 原文掲載日 2023/02/24
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